神様に呼ばれて

2019年04月01日

 修道院に私が入会した「きっかけ」は今から思えば何であったのか分からないのです。

 大学1年生の時、広島県三條にある援助修道会で若者のための黙想会が行われ、参加しました。シスターたちの姿を始めて見て、「このような生活があるとすればやってみたい」と思ったのが一つの「きっかけ」と言っていいのでしょう。「呼ばれる」と言うことは何かはっきり将来が分かり、それに向かって歩むことではなく、「呼ばれた」ときから「呼ばれた人生が始まる」のだと思います。修道生活をしているシスターを実際見て、私は神さまからの招きの門に入り、そこから私の新しい人生が始まったと考えています。1973年東京渋谷にある聖心会聖堂で4月1日に初誓願を立て、1981年1月6日にイタリアのアッシージで終生誓願を立てました。モットーは"Love one another as I have loved you"
でした。

 私は2度目の入会でした。躓きもあり紆余曲折の信仰の道でしたが、病気になった時、「それでもいい」とイエスが私を腕に抱いて言われたこの「神体験」が終生誓願への道を決めました。"Probation"では世界中にある聖心会の母体に繋がった大きな「喜び」と指導者を通して「聖心会から愛された」という愛の実体験が今までの私の修道生活を支えてくれる原動力になりました。この長い道のりは雲の上の美しい絵巻物ではなく、モーゼの率いるその民が荒れ野でさ迷い神を呪い、苦悶したように人が生きていく当たり前の厳しい現実もありました。それは「人との関わり」でしょう。ここにこそ人の成長があるように思います。日々の祈りの中で、そして共同生活の中で、「ここに神がいる」事を確認しながら、神と私の関わりを学んだような気がします。35年以上の修道生活を振り返ってみて思えることは、仕事を通して得た個人的な喜び、仲間とそれを分かち合った共同生活が私の居場所を感じさせてくれたのだと思います。「これでよかった」。そういえるのは神様と共に生きる「招きへの道」であったからではないかと思いこの頃だからです。 (A.K.)