主への一本道

2019年04月01日

I市にカトリック教会が出来たのは私が高校生になった頃でした。近郊の村々からも集まって来た信者や求道者で教会は活気に満ちていました。日曜日のミサ後、受洗して間もない高校の音楽の先生のオルガン伴奏で、聖歌の練習等もしました。私が学んでいた小林聖心では聖歌の伴奏はシスター達がしていました。

高二から高三になる頃、卒業後のことを考えるクラスの雰囲気の中で、私は同じように神への賛歌のオルガン伴奏をして修道院で生活するシスターと、家庭を持つ信者の生き方を比べて、自分の行く道を探していました。家庭を作って互いに愛し合いながら神に従うには、私の心は小さ過ぎて、神まで届かず、家族への愛に止まってしまうかもしれないけれども、ひたすら神を愛して従う一本道なら良いかもしれないと考えました。

父は既に亡くなっていましたので、このことを母に相談しました。夏休みも終わりに近いある夜、街灯もまばらな田舎道を歩きながら、私は修道院に入りたい事を母に告げました。母は何歩か黙って歩いてから、そうしたいなら良いでしょう、と言ってくれました。

主に従う一本道について無知だった私は、会員に支えられ、主がいつも共に歩んでくださって、今 があることに感謝しています。(S.N.)