今、聖心会員として生きる-   「食卓を囲む」

2019年04月01日

 みなさんにとって、「食卓を囲む」ということを聞いたとき、どのようなイメージが浮かんでくるでしょうか。どのような雰囲気が心の中に湧いてくるでしょうか。「食卓を囲む」というのは、人々がそこに集い暖かく楽しい雰囲気ではないかと思います。いっしょに食事をすることにより、交わりを深め、親しさが増します。体も心も満たされることにより、エネルギーが湧いてきます。

 私にとって、聖心会員としてのミッションを生きることは、どこで何をしていても、出会う方たちとこのような「食卓を囲む」イメージです。私が今働いている場は小学校ですので、出会っている人々は、命あふれる小学生、いっしょに働く先生方、そして保護者の方々です。実際には授業をしたり、相談や会議をしたりといったことですが、何をしていても誰といっしょにいても、私にとっては「食卓を囲む」と感じます。例えば、授業ではもちろん私も準備をしますが、教えるというよりは、一人ひとりがもっているものを分かち合うことにより、お互いが新しい発見と気づきを深め、さらに興味や意欲を深めたり、また自分の場が与えられ、周りの友だちから認められることにより自信をつけていきます。私が何かをしてあげるというよりは、わたしたちがともに集うとき中心におられる方がいらしてくださり、お互いの交わりをとおしてその命が分かち合われていくのを体験します。自分は、その食卓を囲むひとりとして参加し、手伝いをしている感じがします。私自身は決して教師向きの人間ではないと感じているのですが、この「食卓を囲む」というイメージによって、不思議と授業の楽しさが広がっていくのを感じます。これは授業の例ですが、他の仕事をしていても、同じことが言えます。

 「食卓」は、そこに集うすべての人にとって自分の居場所があって安心できる場です。そして、自分が自分として、そこにいる大切な存在として認められ、受け入れられる場です。食卓で一人ひとりが命の糧をいただき、満たされることによって、自分の使命を見い出し、その使命を果すために出かけていくことができるようになるのです。この「食卓」を準備し招いてくださるのが、主イエスであり、「食卓」は開かれた主のみ心の愛をともにする場です。次の世界を創っていく若い人々が「食卓」で養われ、主の開かれたみ心の愛を味わい、伝えていく者となりますようにと日々願っています

(M.W.)