4月のみこころへの道
2021年度初回の「みこころへの道」は、復活節第三主日に始まり、第4波と称されるコロナ禍の只中の集まりでした。Zoomによる8人の参加者でしたが、途中から1人Wi-fiが使えなくなり、残念ながら参加不可能となりました。今回の講話の内容は「枝の主日・エルサレム入城」から始まる聖週間「イエス・キリストの受難」について話しました。主キリストの復活はイエス・キリストの受難なくして起こりえない出来事なのです。
聖木曜日・・主の晩餐:この上なく愛し抜かれたイエスの弟子たちの足を洗う場面。
聖金曜日・・主の受難(死):「成し遂げられた。」「頭を垂れて息を引き取られた。」
聖土曜日・・復活の聖なる徹夜祭:「墓にはイエスはいなかった。」「あの方はここにおられない。復活なさったのだ」 そしてイースター・主の復活の喜び
そして分かち合いは今までにない真剣な、面白い気づき、感想がありました。以下の通りです。
〇イエスの話はとても魅力的で、学問のない人、貧しい人々に分かり易く話していることに感心する。
〇イエスの話方だとイエスの弟子になりたくなる。
〇受難物語を聞くのは初めて。イエスの謙遜な姿が心に響いた。
〇私たち人間は過ちを繰り返す。でもイエスが話すように、過ちから学んでいくことが出来るのは、気が楽になる。
〇キリスト教の学校に来てよかった。このような話しを聞くと、学校時代が懐かしくホッとするものを感じる。
〇イエスの苦しみ、悲しみを学んできたから、私たちも苦しい体験をする時、「人に何か役に立つことがあるのではない か」と考えられるようになった。(医師)
〇イエスの話し方は、人に話がよく伝わる「いい話し方」をしているので、心に響く。むしろイエスから何か大切なこと を問われているような気がする。
以上。文責:菅野敦子