導かれて
捨てようとしていた物の中から一冊の古びたノートが出てきました。表紙には「思い出」と書いてあります。開いてみると小学生の頃の記憶が詩のような形で綴られていました。書いた事も忘れたようなのですが確かに私の字です。
読んでいくうちにこれは神様の呼びかけではないかしら、と宝もののように思えてきました。その中にはわれながら"かわいい"と思えるものもあれば、恥ずかしいほど下手くそなものもあります。
詩とも言えない拙いものなのですが、その中の一つを拾ってここにのせてみようと思いました。
ふしぎだナー
あれは夏の夜のことだった
浜辺にねころんで 星空を仰いでいたっけ
きれいだったナー キラキラ星たち
あれが天の川 これが北斗七星
アッ!流れ星だ!とだれかが叫んだ
ふしぎだナー
いつまで眺めていてもあきなかった
それは秋の日の高い空だった。
青い空にまっ白な雲がとんでいく
美しかったナー どこまでゆくのかナー
この空 どこまで続くの?
だれも答えられない 果てない大空
ふしぎだナー
頭の中が空のことで一ぱいになった。そこは一人で歩いた野道だった
足もとで見つけた たんぽぽの花
かわいいナー ちょっと首を傾けている
どうしてこの名がついたのかな
あの木も この花も みんな友達みたい
ふしぎだナー
自然の中のつながりを感じていた。そうだ 夕暮の海だった
まっかに 燃えるような夕陽があった
すごーい!大きな火の玉のよう
刻、刻、と水平線にかかった時
海に金色の錦の帯が浮かんだ
ふしぎだネー
沈む夕陽を惜しみながら
じーっと見つめて考えていた。
こうして心の奥に秘められた宝は、私の歩みの中で見え隠れしながら育てられました。そして、一つの苦しい体験は私の目を開かせてくれ、回心へと導いてくれたのです。ここにも、やっぱり「ふしぎ」としか言えない大きな力と賜物があったと気づくのです。いただいた恩恵にどのように応えて行こうかと考えた時、「これしかない」と門をたたいたのでした。
苦しみを通して復活があるように、今もいつも、共にいて導いてくださる神様に感謝です。(M.O.)