6月のみこころへの道
6月のみこころの道はシスター高橋登志子が「みこころの月」に合せてお話ししてくださいました。今回は、参加者の栗栖涼子さんがまとめてくださいました。新鮮な目で心に残ったものを綴ってくださいました。
「みこころについて」
@ジョアンニ
主の祈り
6月11日:みこころの祝日(イースターによって変動)
6月12日:聖母のみこころ(みこころの祝日の翌日)
校章に
剣に差し抜かれているのは聖母のみこころ
傷ついて血が流れているのはイエス様のみこころ
みこころについて
札幌聖心:酔っぱらった方が像の下で寝ていた。お疲れでお休みになりたいところあれですが、おうちに、、、と言ったら、ここに我に来たれって書いてあるじゃんと。手を広げているのはわかりやすい。
小林聖心:「我に来たれ」ワレキタって略して、ワレキタの前で待ち合わせをしようって感じの会話がある。1995年の震災のときに右手のとこが折れた。見に行ったら、手がなくなっていた。あとから近くに住むおとうさんが震災のあとで手が壊れたいたから、家で安置していたという。イエズスの御心像
▶マタイによる福音書 11章28節から30節
軛:牛が二頭で耕すときに1頭での力が軽くなる。
イエス様と私で荷をわける。
では誰を招くのか。
▶マタイによる福音 19章13~15節
子どもたちがワレキタの前でというのは喜んでいる。
「be humble , be simple and bring joy to the others」
Syrscj
rscj:聖心会のシスター
sy:韓国の聖心会のシスター
なんでイエス様は子供たちを来させなさい?といったか。
(りなさん)→イエス様も神の子と言われることもあって、父を慕う子どもたちに自分を重ねておられたのかなと。
(やすなが先生)→弱い立場、弱い存在、力や助けが必要な存在。
(あやねさん)→未来を創る方なので、先や将来を担うという意味で、ひとりの子どもの地球の将来という部分を書いているのかなとおもいました。
(くりす)→安永先生と同じイメージできいていました。
(なほさん)りなさん寄りのイメージ。周りにいるひとたちも自分のイメージでおりました。
読み方として、いろんな形でよめれば。
聖書=旧約聖書+新約聖書
旧約聖書:ユダヤ教の聖典
新約聖書:接する機会が多い。
日曜日の朗読できくくらい?
新約聖書と旧約聖書のつながり。
<旧約聖書と新約聖書の関係>
「新約は旧約の中に隠れ、旧約は新約の中で明らかになる」(聖アウグスチヌス:430年没)
「旧約が約束したことは新約の中で明るみに出され、過去にひっそりとつげられたことは公に告げ知らされる。したがって、旧約は新約の預言であり、新約は旧約の解説である。」教皇グレゴリオ:604年没)
▶申命記:法律の本みたい。なやつ。
〇今日の感想
やっぱり聖書を音読するのはいいなーとおもいました。
主の祈りも声に出すのは久しぶりだたのでよかったなーとおもいました。
ヨセフ:12人兄弟の1人:お父さんに可愛がられていた。おにいさんたちが嫌な思いをする。アナをほってそこに落っこちてしまう。商人たちが助けて、売られる。夢を解くことができるので、良い方にもっていく。7頭の太った牛は豊作の7年で、痩せた牛7頭は飢饉の7年になるので、というのがその通りになった。ヨセフが売られてきた、イスラエルで飢饉がおきて、エジプトに住むという感じになる。
イスラエルの人はだんだん奴隷として扱われるようになる。黄海がふたつにわかれてひきいていったのはモーセ。自分たちがエジプトで苦労したから、残しておく
→そうすると、神様に恵まれる。
日本でも柿木に実を残しておきましょうという。
現代において、
寄留者:難民、移住者、冷たいというのが問題になる。
孤児:お父さんお母さんいない子どもたち。
寡婦:ご主人とわかれたひと。女でひとつで子どもを養わないといけないひと。
大事にしなさいというひとびと。
特に孤児は親の権利もないため、自分で生きていくしかない。あるいはどこかにもらわれて住んでいく。
ミレー『落穂ひろい』
この聖書の箇所からきている。
写真
> 難民キャンプ
> 靴の写真
▶出エジプト記 19章1節~8節
「わたしたちは主が語られたことをすべて行います」
<緒方貞子さんと聖心の教育>
☆メディテーションでの祈り、ハンガリーのシスターが送ってくれた。
(あやねさん)
フランスのジョアニーにいってみたい。
困っている方を助けるというのをいつも中心に生きていきたいというのが再認識した。
人種がちがっても同じ血が流れているという話を隣の席のベトナム人と方とした。
(りなさん)
ちょっとした配慮によるやさしさは日ごろの生活での、ちょっとしたできることをするというのをがんばっていきたい。
(やすながさん)
申命記は読んだことがなかったので、すごく新鮮なものを感じました。シスターがみせてくださった絵や写真が芸術としてとらえていたものが、聖書につながるというものをすごく興味深く印象深いお話しとして私の中にはいりました。みこころの月なので、いろいろな糧をいれていく関係があるので、いいなとおもった。
(やまざきなほさん)
申命記のところを読んだときに寄留者や寡婦は今の世界にはいないのかなとおもったけれど、いまも昔も同じで、イエス様の考え方はすごくシンプルなのだなとおもった。
可視化されて、言葉だけよりも聖書の言葉の世界というのがみえてきた気がする。
絵というのは違うインスピレーションをあたえたり、絵をとおして自分なりの想像力を養う。