2月のみこころへの道
梅の花が咲くこの時期に、「みこころの道」若者の集いを行いました。今回は、「受容を受け入れる勇気」をテーマに聖書の中のイエスと向き合いました。「人の心が求めているものは何か」という問いに対して、ペーテル・ブレーメンの論説に従って聖書からその問にふさわしい箇所を読み、イエスからその「問」を聞き出していきました。
①人が求めているものは、自分が正しく評価されたい
②あるがままに受け入れられたい
③私が価値があるものと感じさせてくれること
・・ということです。
聖書はマルコ7章31~37
①口のきけない人に対して・・口が利けるようになった
②耳が聞こえなかった人が聞こえるようになった
③目が見えない人が見えるようになった
人々はイエスがなされた業に感嘆し、賞し、感謝し喜びに満ちた人々に変えられました。 このことは、人々の願い、求めているものが、イエスの技によって実現したことを表しています。
聖書ルカ19章1~10は徴税人ザアカイについて語ります。
罪人ととしてカテゴリーに組み込まれ、人間として卑いとみなされて蔑まれ、人間社会から疎外され八方塞がりの人生を歩んでいたザアカイがイエスと出会ったことによって人生観が変わりました。
イエスがいちじく桑の木に登っていたザアカイを「見あげた」。そして声をかけた。「私は今日、あなたの家に泊まる」と。これは親しみのある、信頼された言葉であり、あるがままのザアカイを受け入れたイエスの言葉であるといえるでしょう。ザアカイは初めて「この人は、自分に敬意を示し」、「自分にも価値があると感じさせてくれた人」と捉えたのではないでしょうか。
イエスは私たちをこのように変容させてくださるのです。「あるがままの私」を受け入れられると、本当に人は満足し、変わるものです。ほかに何もいらない。ザアカイもそうでした。彼は、税金を不正に取り立てていました。しかしイエスの受容によって、自ら「不正行為」を認め、「財産の半分を貧しい人々に施す」とイエスに誓いました。皆さんゆっくりこの箇所を読んでみて下さい。
色々な気づきがあると思います。