4月のみこころの道

2025年度みこころの道は4月27日ご復活二週目に始まりました。教皇フランシスコのご逝去の後の講座でしたので私たちはまだ教皇様を失った悲しさの中で、教皇様が全世界の人々に生きる希望と力を与えて下さったことに感謝し、愛の大きさに気付いた恵みの時でした。

今日の内容は、教会の暦の中の「四旬節と主のご復活」につぃて、参加者とご一緒にイエスの歩みを共にしました。枝の主日から始まる主の受難。聖木曜日の主の晩餐。聖金曜の主の受難。聖土曜日の復活の聖なる徹夜祭について。
*枝の主日:
イエスは子ロバでエルサレムに入城。多くの群衆はイエスの入城の時、シュロの枝を持って喜び迎える。「主の名によって来られる方に賛美。祝福があるよに」と、人々はイエスを迎え入れました。
*聖木曜日:主の晩餐。父のもとへ行くことを悟られたイエスは、12人の弟子をこの上なく愛し、愛し抜かれた。イエスは弟子の足を洗う。イエスの模範が示されたました。
「私があなた方にした通りに、あなた方もするように、私は模範を示した」
*聖金曜日:主の受難。イエスの死
イエスは捕らえれ、総督鑑定に連行されピラトから尋問を受けた。ペトロ3度目の否み。イエスは十字架を背負い「されこうべの場所=ゴルゴタ」に連れていかれた。十字架上での死。
*聖土曜日:復活の聖なる徹夜祭。火の祝福・ロウソクの祝福から儀式は始まります。
「世の光」であるキリストが与えられたことにより、私たちが新しい希望と清い心で「永遠の光」を受ける儀式。
上記のような儀式の中に、イエスの復活の「しるし」が明かされます。
イエスの復活をどのように信じたらいいのでしょう。その鍵となる福音書を紐解いていきましょう。
*福音書が語る「イエスの復活」
ヨハネの福音20章24~29・・復活されたイエスとトマスの対話
この物語の中心は復活したイエスを「信じるか否か」が私たちに問われているのではないでしょか。イエスが12人の弟子たちに現れた時、トマスはそこに居合わせなかった。 他の弟子たちが「私たちは主を見た」というと、トマスは「主の手に釘の跡を見なければ、この指を釘跡に入れて見なければ、・・私は決して信じない」と言っています。
そして8日後にまた鍵が掛けてあった所にイエスは真ん中に立ち「あなた方に平和があるように」と言われています。イエスがトマスに傷を見せ、彼の指をイエスの脇腹に触れさせています。そして「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われました。
[イエスの言葉が自分の心に届く]まで時間が掛かっています。しかしこの復活の出来事を本当に信じるためには、私たちは時間が必要です。人生の体験が必要です。死ぬ思いをした辛い体験、両親から、友人から愛された体験、災害、戦争、愛する人た人の別れなどなど、この世の苦しみの体験は、私たちに「いのち」の重みを教えてくれる試金石のようなものだと思います。
イエスが多くの人々の病を癒し、人々に喜びの言葉を与え、生き返った人々が神の言葉を伝える人になったことを想う時、「あなたが大切」とされたイエスの言葉と行いに「命こそ喜びであること」を想わざるを得ません。
復活とは、苦しみの中から生き返り、そこに喜びを感じ取る時「私はいきている」と言えるのではないでしょうか・・・・!!
文責:安藤裕里
シスター菅野敦子
