私の呼ばれた道
聖心女子大学での生活は、地方の県立高校出身の私にとって、大学の選択を間違ったかと考えるほど驚くことばかりでした。 そんな私が洗礼を受け、しかも聖心会の中で生涯を修道女として行きたいと強く望んでいることに気づいた時、誰よりも一番驚いたのは私自身でした。 その時から半世紀余経った今、私がここにこうして居ることは、神様がいらっしゃることの何よりの証しであると思っています。
このブログの内容はすべて聖心会のシスター個人の物語です。(各ブログの日付は更新日です)
聖心女子大学での生活は、地方の県立高校出身の私にとって、大学の選択を間違ったかと考えるほど驚くことばかりでした。 そんな私が洗礼を受け、しかも聖心会の中で生涯を修道女として行きたいと強く望んでいることに気づいた時、誰よりも一番驚いたのは私自身でした。 その時から半世紀余経った今、私がここにこうして居ることは、神様がいらっしゃることの何よりの証しであると思っています。
昭和二十三年七月から五年間、小林聖心女子学院で掃除等シスターズのお手伝いをしている間に、主よ、あなたは、私を呼び招き、「私と共にいてくれないか・・・」と招いて下さいましたね。私は、そんな値打ちがなく、勿論、能力がないと断ったのですが、「おまえの母の胎内にやどる以前から私は、いつも見つめて見守っていた。何もしなくてもよい。必要なことは、全部、私がやるから。私に任せなさい。唯、私と共に、傍らにいてくれないか」と。感極まっておそるおそる「はい」と、何もわからないままに返事をした私でした。
On September 8th, 1965 I left Tokyo for Susono after a year teaching at the International School as a missionary volunteer and entered the Society as a postulant. With me were two Japanese and one Filipina. It is amazing and "unbelievable" that it is already 42 years ago.
私が聖心会の召命へと導かれていった根底には、二つの心に残る思い出があります。
初等科のしごとを定年退職してからもう5年が経つ。在職中のある夏休みに先生方への宿題が出た。課題の一つは、「初等教育をしながら私がねらっていること」だった。その時に自分が書いたことは、子どもたちへだけではなく、自分の周りにいらっしゃる方々への接し方の根本となっている。
「神様にすべてをさし上げたい!もしお望みならば、」と心の中で叫んだのは、高2の時だったように思います。しかし、その後いよいよ人生の進路を考える時になって、「本当に神様は私を呼んでおられるのだろうか」と思い悩みました。自分の思いや考えに自信のない私は、心の奥に聞こえる呼び声をなかなか信じられませんでした。そんな私に「人生にはジャンプが必要です」という言葉が返って来ました。そして、24歳のときにジャンプ。
(その1)
わたしは召し出しを考えるとき、主がエレミヤに言われたことばを思い出さずにはいられない。
捨てようとしていた物の中から一冊の古びたノートが出てきました。表紙には「思い出」と書いてあります。開いてみると小学生の頃の記憶が詩のような形で綴られていました。書いた事も忘れたようなのですが確かに私の字です。
読んでいくうちにこれは神様の呼びかけではないかしら、と宝もののように思えてきました。その中にはわれながら"かわいい"と思えるものもあれば、恥ずかしいほど下手くそなものもあります。
詩とも言えない拙いものなのですが、その中の一つを拾ってここにのせてみようと思いました。
カトリックに関してはまったく何の知識もなかった私だったが、(公立)大学1年のときの教養英語の担任が熱心なカトリックの信者だったことから、カトリックを知ることになった。小さいときから、学校の先生になりたい、あるいは、恵まれない子供たちのために奉仕する仕事をしてみたい・・・という夢を持っていた。
今、私は、このイエスの愛いっぱいの聖心会で、一生懸命生きています。この会だからこそ、私はこの年になるまで、無事に生きていくことができたのだと心から感謝しております。また、私の家族もどれほど恩恵をこうむってきたことか、それははかりしれないほどです。全てにおいて感謝の一言につきます。